プロフィール
上島よしもり
YOSHIMORI KAMISHIMA
上島 よしもり
- 昭和44年1月24日生まれ
- 出生地 東京都
- 鹿児島県大島郡喜界町出身の父、東京都八王子市高尾町出身の母。4人兄弟の長男として生まれる。名前の「義盛」の義は父の名から、盛は西郷隆盛から拝借し命名。
- 世田谷区議会議員 (自由民主党)
- 世田谷区監査委員
- 企画総務常任委員会委員
- スポーツ・交流推進等特別委員会委員
- 自由民主党世田谷区第34 支部長
- 予備自衛官
- 防災士
- 世田谷区テニス協会会長
- 世田谷区ライフル射撃連盟会長
- 東京都少林寺拳法連盟顧問
- 世田谷区ラグビーフットボール協会顧問
- 東京都隊友会世田谷支部役員
- 世田谷鹿児島県人会役員
略歴
HISTORY
小学校時代 | 地元の公立小学校に入学。365日、半ズボン、悪戯ばかりしていた問題児。 両親が遅くまで働いていたため、夜になるまで外で遊んで過ごした。算数が得意で5年生から勉強が楽しくなり、中学受験を目指すが、 失敗。 |
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中学校時代 | 地元の公立中学校に入学。吹奏楽部(チューバ担当)、ハンドボール部に所属。生徒会副会長を務める。 学業よりも、部活と生徒会に励む三年間。 |
高学校時代 | 中央大学附属高等学校に入学。映画、哲学、落語、音楽に熱中した3年間。 将来の進路と大学で何を学ぶか、悩む中、両親の反対を押し切り、中央大学進学を申請せず、浪人生活を選択。同校卒業。 |
大学校時代 | 浪人生活を経て、青山学院大学に入学。専攻は経営学。特に組織論、官僚論、経営史を学ぶ。 かつては苦手であった政治にこのころから引き込まれていく。大学時代はヨット部に所属。逗子にある合宿所から大学に通う毎日。部活の成績はK16クラス全日本3位。 |
社会へ | 卒業後、会計学校に入学。税理士の勉強をしながら、都議会議員の秘書として働く。 政治の流れを大きく変えたいという思いで、日本新党に入党。将来政治家を目指す同世代の仲間と多く出会い政治への挑戦を考える。 |
政治の世界へ | 日本新党解党、新進党結成に伴い、平成7年八王子市議会議員選挙に出馬。当選を果たし、政治家としてスタートするも、政界再編の流れが激変。 新進党解党、時代の即した新しい保守勢力の結集を目指し、自由党入党。市議会議員を辞し、自由党東京都連役員として、次期統一地方選挙に向けた事務局において新たな勢力拡大を目指す。 |
区議会初当選 | 自由党の候補者として、平成11年世田谷区議会議員選挙に出馬。 当選を果たし、「自由党世田谷」を設置し、保守の立場からの区政改革に邁進する。区政改革と共に、その根本となる議会改革にも力を入れる。 |
二期目 | 当選直後、4人会派「せたがや政策会議」を結成。行政改革と議会改革の推進を主張し、改革論議のテーブルを議会内に作る。 平成15年9月、自由党が民主党へ合流し、自由党解党。それに伴い、無所属に。 地域に根ざした真の保守再興を目指し、平成18年4月、自由民主党へ入党。三期目を目指し、平成19年世田谷区議会議員選挙に出馬。 |
三期目 | 当選後、自由民主党世田谷区議団の政調副会長に就任。 一年の間を置いて、政調会長、幹事長に就任。 |
四期目 | 当選後、再び区議団幹事長に就任。 自由民主党世田谷総支部幹事長に就任。 |
五期目 | 平成27年5月、第60代世田谷区議会議長に就任。 平成30年5月、3年間務めた区議会議長を退任。 |
六期目 | 令和元年5月、議会運営委員長に就任。 令和3年5月 世田谷区監査委員に就任。 現在に至る。 |
目指すもの | 誰もが暮らしやすく、住み続けたい世田谷区を実現! |